コラム第17回 常識

常識、普通、当たり前

これを常に言う人がいますが、私はどうなのかなと思います。
その人の言う常識とは、その人の主観であり、他の人には通用しないことのほうが多いと思います。


例えば仕事で出勤時間の何分前に行くのが常識ですか。

5分前、3分前と言う人もいれば、時間ちょうどでいいという人や、30分前という人もいるでしょうし、少しぐらい遅れても仕事に差し支えないのだからどうでもいいという人や、1時間の早出残業が当たり前の人までさまざまでしょう。

それがその人たちの常識です。


仕事が変われば、年齢が変われば、同じ日本でも地域が変わればその常識も変わっていくものです。

同じ仕事でも現場が変われば、他の現場の常識がその現場では非常識になり、その現場の常識が他の現場に行けば非常識に変わります。

その人の言うその常識とは、日本のその土地近辺で、性別や年齢、年収や職種が同じようなレベルにある人たち限定の、その人たちにしか通じない常識であるように感じます。


最近、保育園が少ないという話がテレビで放映されています。
しかしながら、実際に保育園を建てようにも近隣住民の反対にあい、建設中止になっている保育園や、子供の声が聞こえにくいよう園児用の部屋には窓をつけな い保育園もあり、既存の保育園などでは、子供たちが遊んでいる声が騒音だとして苦情が寄せられているそうです。

小学校でも校門での登校時の挨拶が住民からの苦情で自粛になったり、放課後校庭で遊んでいる子供の声がうるさいとして苦情が寄せられているそうです。

これも苦情を寄せている人たちからすればその人たちの常識です。


こういう常識では海外の内戦やテロが日常的に行われている国や、産まれた瞬間から常に他の捕食動物に狙われている野生動物などには全く通用しません。

先日観た動物番組で子供の象が泥沼にはまり泥沼から出られなくなり、母親の象は鼻や足を使い子供の象を助けようとしますが、母親も助けられず、もがくたびに子供の象は泥沼に沈んでいき、そのままもがきながら沈んでいきました

日本の人間の子供には全くない世界ですが、動物の子供にはあることです。

私はそういうところでも通用するものを常識を考えます。

つまり日本でも、世界でも、野生でも通用する常識が本当の意味での常識だと思います。


みなさんの常識はどうでしょう。