第25回 褒めるという教育 人間褒められればうれしいものですし、その人を教育するという目的が果たされれば、褒めるに限らず方法は何でもいいと思います。 教えられている本人にストレスなく教育するための方法としては素晴らしい成果を期待出来ると思います。 しかし考えて欲しいのが、それだけでいいのかということです。 一長一短、何事にも善し悪しがあります。 ストレスを与えないということは本人にとって楽ですが、ストレスを経験しなかったその子は将来、大きなストレスを抱えざるを得なかったとき、人生の大きな局面に立たされ重大な選択をせまられた時、それを自らの力でたくましく乗り越える事が出来るでしょうか。 最近実際にあったという話です。 幼い頃から無理強いはさせたくないという幼稚園の方針で、何かをする時にやりたくないのなら無理にしなくても大丈夫だよということで、その子は何かにつけて出来ない理由を言い、積極的に物事に取り組まない子になってしまったそうです。 別の話ですが、小学校低学年でも無理強いはさせないということで、やりたくないのならやらなくても構わ ないという教育を受け、高学年になるにつれ、そろそろやらないといけないとなった時に、今までやってこなかったので当然出来るわけがなく、とうとう学校に 来なくなってしまったそうです。 親も無理強いをさせない、やりたくないことは無理にしなくていいということで、行きたくないのなら無理に学校に行かなくても構わないという考えだったそうです。 さらに別の話ですが、中学の部活動の大事な試合の重大な場面でミスをした子がその場で泣き崩れてしまったという話を聞きました。 まだ試合は続いているのに。
結局ストレスなく育った子供がストレスを抱えたら、そのストレスに耐える力がなく、そうなってしまったのだと思います。 それらの原因の全てが褒める教育、無理強いをさせない教育のせいだとは思いません。ゆとり教育、ジェンダーフリーその他色々な学校環境が変わりました。 それにより楽になった生徒もたくさんいると思います。 しかしそれによる弊害も少なからずあったと思います。 現在の流行りは褒める教育ですが10年経てばどうでしょう。 30年後も100年後も褒める教育が最上の教育方法として実践されているでしょうか。
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