第33回 古伝の型
型というものは古の達人と呼ばれていた人が自分の術技を後世に伝えるために作った遺言のようなものだと考えています。 型をやればやる程、これを作った人はどれ程すごかったのだろうかと思います。 型というモノはその人の作ったオリジナルである事が重要です。 型を作ったクリエイター (創作者) がいて、我々はそのリクリエイター (再現者) になります。 型稽古の目的とは古の達人たちの残した術技の集大成である型の稽古をする事により、その達人の術技を会得することです。 古の達人は真剣の斬り合いから培った術技の理や心の在り方などを剣から拳に変え、型という形で後世に残してあります。 私自身、極真空手時代に型は型、組手は組手としてやっていましたが、宇城憲治先生に直接型を教わるようになり今まで自分のやっていたものが空手とは呼べないものであることを痛感し、同時に沖縄古伝の型のすごさを思い知りました。 真剣の斬り合いという実戦を経験し、その理合を集積した古伝の型こそが真の型であり、それこそが空手の極意です。 真の型なればこそ学ぶ価値があり、本質を理解せず勝手な解釈で違うものにすり替えられてしまった型に学ぶべき技はないように思います。 型は実戦で使えないという話はよく耳にしますが、古伝の型は実戦で使えます。 間違いなく使えます。 しかし現代空手の組手試合ではあまり使えないと思います。 それは古伝のオリジナルの型は現代空手の組手試合というスポーツの為に作ったものではないからです。 型試合で優勝するための型ではなく、オリジナルの古伝の型を学び、そこにある術技を引き出し、自分の技を作る。 それが型稽古の目的であり、それが本来の空手です。
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