第14回 生きる意味




何歳の頃からか分かりませんが、そんなことを何となく考えてます。
今みたいに明確に『生きる意味』なんて言葉にしてはいませんでしたが、
多分小学生の頃からでしょうか、何となく考えていました。
僕は何の為に生まれてきたのか。
何をするために生きているのか。
多分そのとき読んだ漫画か何かで、登場人物が言っていたのかもしれません。

今が2013年10月で来月37歳になりますが、最近何かあるたびにそれを考えます。
何かのニュースが報道されたとき、身の回りで大きなことが起きたとき。

この人の人生は何の為にあったのだろう。
何故この人はこんな苦しい思いをしなくてはいけないのだろう。
何故この人は他人をここまで苦しめることが出来るのだろう。

この人たちの人生は何の為に、何をする為にあるのだろう。

人が生きる意味って一体何なんだろう。

色々考え、今は一つの結論みたいなのも出ました。

人は本当に自分のしたいことのために生きる。
言い方を変えれば『欲』のために生きるのでしょう。
その欲は人それぞれでしょうから、お金という人もいれば地位、名声という人もいるでしょうし、
家族という人もいるでしょうし、病気と戦っている人は病気に打ち克ち生きたいということかもしれません。
人はそれぞれに価値観を持って生きていますから、お金でも愛でもいいと思います。
否定はしません。

しかしその根底にあるものは『心が満たされる』ということではないでしょうか。

お金によって心が満たされる人もいれば、愛によって満たされる人もいます。

心が満たされた状態を幸せというと思います。

人は幸せになりたくて生きています。

私の主観ですが、そこには相対的なものよりも絶対的なもののほうがいいように思います。
相対的とは他と比べて、絶対的とは比べようのないもの。
お金は相対的です、自分よりあっちのほうが、あいつより自分のほうが。
愛は絶対的です、他と比べようがありませんし、誠の愛は何があっても揺るぎようのないものです。
お金の為に死ぬ人はいないでしょうが、愛の為に多くの人が亡くなっていきました。

私の生きる意味、私は何の為に生まれてきたのか、自分自信の真実

今は『愛』であると確信しています。

特定の異性に対してだけの強烈な愛ではなく、困っている見ず知らずの人を愛し、
そして今、一番憎いと思っている相手をも、いつかは愛してあげたいって思っています。

非暴力、非服従で有名なガンジーは暗殺されました。
そのとき彼は額に手を当てたそうです。
それは自分を撃った相手を許すという意味のサインだそうです。