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横浜市都筑区大丸4−7 045-274-8137 誰も知らない型の正しい使い方教えます
ほ ぼ全ての 空手道場で型を行っていますが、同じ型の名前でも道場によって型が違うのって 知ってますか? 例えば当道場ではサンチンという型を行っています が、動画サイ トなどで『サンチン』と検索すると色々なサンチンが見れます。 中にはちょっと首を傾げてしまうものや、何でこんなものがというものまでありまし たし、 Q&A形式でサンチンの型が大事だと教わりましたが何故ですか?という問いにうまく答えられなかった先生もいました。 同じ空手、同じ名前の型なのに何故こんなことが起こるのか。 それは空手の歴史が教えてくれます。 大正時代に沖縄の空手が日本の本土に入ってきました。 当時東 京近郊の大学に空手部を作り、沖縄から来た先生が指導していましたが、当時の大学生たちが勝手に立ち方や型の動きを変えてしまい、教えてもらってもいない のに勝手に組手試合を開催してしまったそうです。 それに怒った沖縄の先生は顧問を辞退しますが、大学生たちはそれでもそれを辞めず に続け、今や それが国際的な組織に発展し、オリンピックの空手になってしまいました。 彼らは大学入学後に空手を始めたわけですから、最大でも4年間しかやっていません。 つまり初心者です。 初心者が型の意味も分からずに、自分たちの解釈で本来沖縄で行われていた型からは程遠いものに変えてしまいました。 そこから、さらに道場ごとに変更点が加わり、道場ごとに同じ名前の違う型が出来ました。 何が違う?古伝空手と現代空手
古伝の型は何が違うのかということですが、明治以前の真剣の斬り合い、命のやりとりをしていた人たちが作ったということです。 真剣の斬り合いをしてきた人たちが剣や槍、弓矢などと並行して素手の技の修練を繰り返し、作り上げたものが古伝の空手です。 明治になり、廃藩置県制度から武士階級がなくなり、空手そのものが衰退しましたが、危険技を排除し、なんとか学校体育に導入させ空手が生き延びました。 その時点で現在の柔道と同じように、相手を殺傷、制圧させるためのものから、学校体育用の空手に変わり、さらにそれが本土に伝えられ数年空手をやった程度 の初心者 である当時の大学生が型の意味も分からずに、作り変えた型が現在に継承されています。 明治初期までの沖縄で戦場において相手を殺傷、制圧させるためのものが古伝空手 危険な技を排除し、学校体育用に改変したものが明治初期から昭和初期の空手 昭和初期から戦後、良し悪しは別として、それを元に本土の大学生がさらに改変 そこから流派ごとの考え、解釈をもとにスポーツ化したものが戦後以降から現在の空手 伝統派空手というのは学校体育空手を元に本土の大学生が作り変えた体育的スポーツです。 フルコンタクト空手は戦前日本にいた朝鮮人の方が当時の空手を元に作った格闘スポーツです。 テコンドーは1940年代当時、学校体育空手を元に朝鮮半島でスポーツ化したものです。 型の技は一見すると何に使うのか、どう使うのか全く分からないと思います。 両手で同時に受ける技もありますが、相手が両手で突きを出して来て、それを両手でそれぞれ受けるということは現実的ではありません。 また立ち方も足を横に開いたり、カタカナのハの字のように、つま先を内側に向けるなど、実戦的ではないとの声もあります。 ですが、ハッキリと断言します。 型こそが実戦技の宝庫であり、空手=型です。 型は型のままでは使えません。 型を基本とし、自分の形に変えて初めて型は使えます。 書道を例にすると分かりやすいと思います。 型は書道で言えば楷書、行書、草書になります。 楷書は一画一画キチッと書きます。 それを基本とし、少し崩し、文字の中のつながり等を意識し、行書があります。 さらに崩し、草書があり、さらに発展したものが、その人の書の形です。 書家の先生の書いた字がかっこいいからと筆も持ったことのない人が、それだけマネして書いたとしても、難しいと思います。 楷書という基本があり、その上に成り立つその人の書です。 空手に話を戻せば、型という基本があり、その基本の上に成り立つのが実戦で使う空手の技です。 型なくして技はありません。 どうつながっている?型と基本と組手
空手の基本稽古というものがあります。 その場で左右交互に技を繰り返したり、前後に移動しながら技を行いますが、普通に考えてこれはこのままでは全く実戦では使えません。 これは空手の基本になりますが、もっと具体的に言うと、型の基本です。 当道場では基本の技は突きと受け技が5個の合計6個です。 型の技はこの基本技の応用です。 型の技は一見すると何の応用か分かりにくい技もありますが、全ての技が基本の応用です。 型の分解組手は、相手に入る瞬間は基本の技、途中から型の技に変えていきます。 実戦技の分解組手は、入る瞬間が型の技、途中からは自分の技です。 自由組手は最低限これだけは気を付けるというものはありますが、基本的には何も考えず、何も意識しません。 体に任せて動くだけです。 基本と型がつながっていること 基本と型の技が人間の体に対し、自然で理にかなっていること 筋力ではなく、呼吸の爆発がエネルギーとなっていること 呼吸や手足、技、動作など体のすべてが一つになった統一体であること こういうものを型や基本の稽古で身に付けていきます。 空手と試合
ですが残念なことに、試合制を導入した時点でこの構図は崩壊します。 試合にはルールがあります。 ルールに合わせた技が開発され、型と無関係の技が良しとされます。 型にある空手本来の技を使い試合に負けるのと、型と関係のない試合用の技を練習し、試合に勝つのであれば皆さんはどちらを選びますか? 空手の大会でチャンピオンを目指している人は、自分のやっている事が、実は空手じゃないなんてことは夢にも思わないでしょう。 空手に限らず試合制を導入した時点で、武道はスポーツに変わります。 道場によっては型を軽視しているところもありますが、それは継承の過程で全く使えないものになってしまったか、そこの先生が経験年数に関わらず勉強不足か のどちらかです。 筋力に頼らないチカラ 『呼吸』
和心流空手の特徴の一つに『呼吸』というものがあります。 通常言われている呼吸と古伝空手でいう呼吸は違うものです。 古伝空手の 『型』にある正しい呼吸が出来るようになれば、 『 肚(はら)』ができます。 肚というものはへその下にあり、別名を丹田(たんでん)と言います。 日常でも『もっと肚に力を入れる』や『肚を据える』などに使われています。 「肚に力を入れる」というのは『腹筋』ではありません。 『胆』ができてこなければ、 人間の持っている『本当の力』が出ません。 スポーツは筋力を鍛え、筋力の強さで技を強くします。 筋力トレーニングは戦後普及し、今ではスポーツとは切り離せない存在です。 筋肉というものは手っとり早く体を鍛えるのに適していますし、ウェイトトレーニングを していないスポーツ選手はゼロに近いと思います。 ですが、ウェイトトレーニング自体は戦後です。 では、それ以前の剣術家や空手家はどうやって技を強くしていったのでしょう。 それが呼吸です。 欧米人に比べ体の小さい日本人には筋力を鍛え筋肉で技を強くするという考えはありません。 ですが、呼吸で技を強くすると言われて、それを理解出来る空手の先生がどれほどいるでしょう。 空手の技は全て呼吸で行います。 筋力は使いません。 つまり『型の呼吸で肚を作り、肚の力で、技に重さを出す』ということです。 武術と武道 武術とは、真剣の斬り合いという場から、自分の身を護り、相手を殺傷制圧するために作り上げた術技です。 江戸時代、禅が武術に影響を与え、剣禅一致が説かれ、相手を殺傷、制圧するためのものから、稽古を通じ、人を傷つけることなく心の修行と自己の完成を目的 とする『武道』を作り上げました。 琉球古伝空手の『型』には『呼吸のエネルギーを根源とした筋力を必要としない技』や、『相手から身を護 りながら、相手を制圧する術技』が無限に秘められており、『型を極める』ということは『武術を極める』 ということであると言えます。 武道の『道』とは人が人としてどう生きるべきかという哲学でもあり、武道の目的とは、オリンピックでも なく試合に勝つことでも、人を傷つけることでもなく『稽古を通じ心を創るという心の修行と自己の完成』を図ることです。 そもそも稽古というものを考えましょう 稽は考える 古は いにしえ 『いにしえを考える』 つまり伝統的、保守的なものを指します。 例えば今度試合があるから、ミット打ちをたくさんやって、心肺機能を強くする。 ウェイトトレーニングで筋力を鍛えて技を強くする。 これらは稽古ではないのが分かると思います。 型=空手であり、空手=型です。 組み手試合でピョンピョン飛んでいる選手がいます。 ピョンピョン飛ぶ型はありますか? 型に回し蹴りやかかと落とし、後ろ回し蹴りはありますか? 型の突きは出した後、引きますか?出したままですか? 真の強さ『克つ』
強いといっても単に殴りあいに強いだけが本当の強さとは言え るのでしょう か。 格闘技のチャンピオンのような『※相対的な強 さ』は、若いうちの一瞬だけで、 その強さも猛獣と戦えばひとたまりもありません。 そして殴り合いの強さが現代社会においてどれほど重要でしょうか。 では本当の強さとは何なのでしょう。 それは『心の強さ、自分に克つ』強さが、真の 強さであると和心流空手道場は考えます。 人生の困難な局面にも逃げ出さず、覚悟を決 め、それに立ち向かい、打ち克つ強さ。 和心流空手道場では心の強さ『※絶対的な強さ』こそが真の強 さであると考 えます。 稽古を通じ、その心の強さを養います。 ※『相対的な強さ』 他と比べてどうか、対象が自分以外『勝つ』 ※『絶対的な強さ』 他と比べるのではなく、対象が自分自身『克つ』 スポーツと武道の違い
ほとんどのスポーツ界は20代、30代の選手がトップにいま す。 それはそれで素晴らしいことです。 格闘技で30歳と60歳の選手が戦えばどうなるでしょう? もちろん100%、30歳の勝ちですよね。 では武道の世界においてはどうでしょう? スポーツ的武道では30歳が勝ちます。 ですが真の武道においては60歳が勝ちます。 武道の言葉で『50歳でヒヨコ』という言葉があります。 筋力を主体としたスポーツ武道は筋力の衰えと共に技も落ちて いきますが、 呼吸からのエネルギーを主体とした真の武道は年齢に関係なく技の威力が増していき ます。 もう少し分かりやすい例えで言いますと、30歳と60歳の芸 術家、料理人 や職人の世界などがそうです。 技量だけでなく、人間としての経験、成長が技術にもつなが り、より素晴ら しい作品に仕上がります。 加齢や性別、体力に関係なく技術が向上していくのも武道の特 徴です。 スポーツの目的は『勝つ』ことで、武道の目的は『心の修行、 人間形成』で す。 そしてもう一つ。 スポーツは失敗しても次があります。 今日の負けを明日に生かすことが出来ます。 真剣の斬り合いから生まれた武術では、失敗、負けは死を意味 します。 今失敗したら、今日負けたら次も明日もありません。 失敗は成功のもとや、十中八九の確率論、イチかバチかもあり ません。 『唯一無二の絶対の境地』を目指すもの、それが武道です。 スポーツ界の不祥事
健全な肉体と精神を作るためのスポーツであるはずなのに、相 撲界やスポー ツ界の不祥事、スポーツをする小、中学生のいじめなどはなぜ起こる のでしょう。 それは『人を育てることよりも、試合に勝つことが目的』と なっているから です。 試合に勝つことが最大の目的ですから、少しぐらいの反則をし ても審判に見 つからなければいい、試合に勝てればいいとなります。 フェアプレーという精神がありながら、当たってないのに当 たったふりを し、反則をもらうことを戦術としている競技もあります。 自分に不利になる誤審には猛抗議ですが、自分に有利になるも のにはラッ キーで知らぬ振り。 反則でさえ、勝つためには利用します。 そのくせ日常生活ではルールを守れと言っても聞こうとはしま せん。 そういうことの積み重ねが『誰も見ていないから』『親や先生 にバレなけれ ば』や、『過剰なトレーニングによる肉体的、精神的ストレス』 『勝 ちたい、勝たなければいけないというプレッシャー』などから日常考えられないような行動に出てしまいます。 現在の空手界
空手の技というものは型を稽古し、その中から生まれます。 つまり『型の習得度合い=空手のレベル』であり、型を何百 回、何千回と稽 古し、発見と気付きを繰り返しながら型を上達させていくものです。 しかしながら現在の空手界はスポーツ化、競技化が進み、科学 的トレーニン グで筋力を鍛え、自由組手の技は『型からの技』ではなく、型の技とは関係のない 『試合用の技』となってしまい、型も『型試合のための型』となり、見た目のきれいさや、派手さを重視し、本来の『武術としての使 える型』からは程遠いものになってしまっています。 本来の武道における試合というものは、自分の実力がどれぐら いなのか、技 がどれぐらい身に付いているのかをお互いに『試し合う』場であり、その結 果と反省をもとに稽古の指針を立て ていくというような意味合いのもので、決して勝敗のみを競い合うためのものではありません。 つまり『稽古>試合』であり、『試合のための稽古』ではなく 『稽古のため の試合』です。 このようにスポーツ化が進むことによって『型』と『組手』が 別のものであ るという考え方や見方をする人が多くなっています。 原因として、一つにはスポーツ的な試合を作ったこ とにより、試合用のルールを作り、そのルールに即した練習や、試合に勝つための練習や技の開発が皮肉なことに空手本来の技を失わせてしまっているというこ とです。 もう一つは正しく型を理解し、型の中にある本物の技を体現で きる指導者が 限りなくゼロに近く、本当の型を教えられる指導者が少ないという事 実です。 それほど空手の型というのは難しいものなのですが、故に一生 を懸けて稽古 をする価値があります。 そしてその『型』の中にこそ『呼吸を根源とした筋力に頼らな い力』や『実 戦から生まれた本物の技』が無限に秘められており、『型を極めるということは武術 を極める』ということであるといえま す。 また、筋力主体のスポーツ的な技は年齢とともに衰えていきま すが、型稽古 から培われた技は年数を経るごとに逆にその威力を増していきます。 普段稽古で言っていることや、最近思うこ
となど
第37
回 どうやって技を強くする?第36回 二つの姿勢 第35回 目的 第34回 ニュースの裏にある自分の心 第33回 古伝の型 第32回 黒帯の条件 第31回 黙想 第30回 バカ 第29回 指導者として 第28回 基本を大事にする 第27回 指導するということ 第26回 ウソは言わない 第25回 褒めるという 教育 第24回 丁寧にやる一生懸命やる 第23回 教育と指導と教える 第22回 自信 第21回 害虫 第20回 優しいと甘い 第19回 スポーツ界の不祥事 第18回 強い人間は優 しい 第17回 常識 第16回 『えらい』と『すごい』 第15回 輝く 第14回 生きる意味 第13回 ジャンルは違えど 第12回 一生懸命生きる 第11回 道場とは 第10回 愛 第9回 まだ出来ない、まだ早い 第 8回 それは本当に子供の為になっていますか? 第7回 『自由組手』と『自分勝手組手』 第6回 いじめる側、いじめられる側 第5回 正しい技と強い技 第4回 理に適った正しい突き、出来 てますか? 第3回 親子の関係 第2回 いただきますということ 第1回 キチンとということ
入会金 10,000円 月会費 6,500円 空手衣 7,600円〜 ※別途消費税が掛かります ※稽古は自由参加です。 週に何度稽古に出ても月会費は変わりません(週6回参加可)。 ※見学、無料体験入門、入会前カウンセリング随時実施中。 ※祝祭日は全てお休みとなります。 中、高生の男子、 女子 入会金 10,000 円 月会費 8,000円 空手衣 6,810円〜 18歳以上の男女 入会金 10,000円 月会費 10,000円 空手衣 10,000円〜 ※別途消費税が掛かります 横浜市営地下鉄グリーンライン
都筑ふれあいの丘 徒歩3分 横浜市都筑区大丸4-7 045-274-8137 |